Thought of Founder
創業者の想い
創業者の生い立ち
加藤 陽一
1908年(明治41年)3月 | 愛知県瀬戸市で生まれる |
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1932年(昭和7年)3月 | 東京帝国大学(現東京大学)工学部建築学科 卒業 |
1948年(昭和23年)11月 | 資本金100万円にて日東工業株式会社を設立 取締役社長に就任 |
1967年(昭和42年)8月 | 愛知県経営者協会 常任理事 |
1968年(昭和43年)4月 | 社団法人中部産業連盟 理事 |
1970年(昭和45年)4月 | 中部経済同友会 幹事 |
1976年(昭和51年)8月 | 日東工業株式会社 取締役会長に就任 |
1984年(昭和59年)5月 | 財団法人日東学術振興財団を設立 理事長に就任 |
1986年(昭和61年)5月 | 社団法人日本電機工業会より電機工業永年功績者表彰を受賞 |
2001年(平成13年)1月 | 逝去(享年92歳) |

創業者の語録
「正々堂々と本道を歩もう」 ~大道無門~
当社の進む道、進んできた道とはいったい何でしょう。それは「正々堂々と本道を歩もう」です。
「当然やるべき事をやって、当然進むべき道を支障なく進もう」というのが会社の基本方針です。
禅でいう「大道無門」。こそこそ先廻りする事を考えずに進もう。
自分自身から住み良い社会へ ~脚下照顧~
自分自身→マイホーム→マイ民族→マイ世界と、自分自身の足元を確かめながら、次第に住み良い社会を実現しようではありませんか。
1969年(昭和44年)1月 社内報 第23号 (PDF 721KB)先づ第一が健康、良い家庭、働き甲斐ある職場、住み良い社会へと。道遠しとはいえ一歩づつ登ってゆく努力は尊い。
1970年(昭和45年)1月 社内報 第33号 (PDF 501KB)環境を礎に ~本社移転によせて~
「(着工前は)敷地内に二山二谷があり、横断などできない高低の多い処でした。広い敷地に、広々とした工場、緑に恵まれた公園工場を作りたいという夢の工場でした。
―今後はこの工場を、社内の若い新人諸君が伸びてゆくための礎石として、生かしてゆきたい。」
二山二谷から現在まで
(本社・名古屋工場の変遷)

工事着工前

東名高速道路名古屋インターチェンジ東隣に工場を新設

愛知県愛知郡長久手町に本社を移転

メインシンボル「躍動」の設置
左隅:加藤 陽一 / 中央上:彫刻制作者 小池 郁男 氏

緑豊かな「公園工場」
当社では、「働く人の人生の大部分を占める会社を、実りある生活環境にしたい」という創業者の精神の下、緑豊かな「公園工場」を推進しています。植栽の随所に彫刻などの芸術作品を配置し、社会環境と自然環境の融和を図っています。
メインシンボル(本社・名古屋工場)
1981年、日東工業株式上場(名古屋証券取引所第二部)の年、会社の更なる発展を願い、本社・名古屋工場(正門ロータリー)に設置されました。
彫刻の道(本社・名古屋工場)


名前の由来
地域の人たちとの触れ合いの場をもとめ、1991年、本社・名古屋工場構内北側道路沿いにオープンギャラリーをつくりました。
長さ100mほどの区画を石垣で固め、愛知県立芸術大学の先生や学生が手がけた彫刻作品10点を展示したこの道は、通りがかる人たちに、身近で芸術鑑賞できる憩いの場を提供したいという想いから、社員募集で「彫刻の道」と命名されました。
夜間はライトアップされ、昼間とは違った趣を楽しめます。
展示されている彫刻
その他の彫刻・美術品

本社・名古屋工場 (研究開発センター1Fロビー)

菊川工場 (正門)

磐田工場

中津川工場

唐津工場(ロビー)

掛川工場

栃木野木工場(ロビー)










